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「経済学方法論の変革(訳者解題)」

デボラ・A・レドマン著『経済学と科学哲学』文化書房博文社1994.所収.

橋本努

 

 

1.本書および著者レドマンについて

2.最近の経済学方法論の動向

3.新たな提案:「方法」からの脱出

 

1.本書および著者レドマンについて

 本書は、従来の経済学方法論の在り方を変革する一つの転換点に立っている。ウィーン学団以降の科学哲学と経済学の関係を正確に跡づけつつ、著者レドマンが注目するのは、経済学方法論における悪しき慣習、すなわち、科学哲学者の権威を借りて最も著名で独創的な経済学者の仕事を酷評するという「知性における父親殺し」であり、もう一つは、科学哲学の知見によって特定の経済学領域を正当化しようとする「知性における権威崇拝」である。しかし彼女によれば、科学哲学は経済学における絶対的な権威の源泉ではない。実際、本書の第一部は、最近の科学哲学の研究成果を踏まえて、クーン、ポパー、ラカトス、ファイヤアーベントといった権威的人物を批判することに捧げられており、さらにまた、これまであまり注目されてこなかった科学哲学者たちの研究が大きく取り上げられる。第二部では、経済学に適用された科学哲学の権威、ないしその影響力が徹底的に批判される。すなわち、「反証」は成立しないこと、「パラダイム」、「研究綱領」といった概念はあいまいであること、「通常/革命」という二分法は経済学の歴史を記述するには適切でないこと、などが指摘される。また、彼女特有の議論が展開されるのは、第二部の後半、アメリカにおける経済学の制度史について批判的に検討した部分である。この歴史叙述は、クーン流の知識社会学の手法を、ポパー流の規範的観点から再編したものだと言えるだろう。そこでは、アメリカ経済学界の閉鎖性、とりわけそこにおける女性差別の問題、あるいは研究の利害依存性、経済学者を養成する制度の徒弟性、といった問題が剔抉される。

 科学哲学と経済学の生産的な関係は、これまで論じられてきたような、権威/従属関係の中にはない。経済学者が科学哲学者から学ぶべきことは、科学のルールや科学の認識論的正当性といったものではなく、むしろ、科学者各人の規範的行動原則、すなわち、寛容、誠実さ、私心のなさ、批判的態度、といった事柄である。レドマンはこのように、議論の土俵を「経済学の方法的正当性」の問題から「経済学者の倫理規範」の問題へと移行させつつ、この倫理規範の観点から、経済学の現状を徹底的に批判してみせる。このような意味において、本書は、従来の方法論議に対する「挑戦の書」であると同時に、経済学者、とりわけ新古典派のパラダイムに従事する経済学者に対する「批判の書」でもあるのだ。

 本書の結論は、次のような主張にある。いかにして科学的知識の成長をもたらすかという問題は、最終的には科学者各人の倫理的問題である。知識の成長は、批判的合理主義の態度、すなわち、科学にとって最も望ましい環境を保障するために各人が学ぶべき態度を要請する。そしてこの態度を実際に身につけ、将来における誤りを避けるためには、われわれは科学の外的歴史――とりわけ科学の営みの制度的欠陥――から大いに学ばなければならない。それゆえ、経済学と科学哲学の有意義な関係もまた、科学史(経済学の外的歴史)の構成と科学哲学の規範的インプリケーションの結合から、与えられることになる。

 経済学教育の現状に対する強い不満をもったレドマンは、知識を発展・継承する教育環境の整備という問題関心から、本書以外に二つの参考文献一覧を出版している。『経済学方法論:科学哲学に関連する参考文献一覧』(1989)および『合理的予想入門:概説と参考文献一覧』(1992)である。これらは、それぞれの分野の研究を志す者にとって貴重な研究道具となろう。また彼女が現在手掛けているのは、『科学としての政治経済学の勃興:方法論と古典派経済学者』(近刊)であり、これはべーコンからミルに至るまでの方法論史を跡づけるという壮大な研究である。さらにその後の研究として、『女性と経済学の歴史(全三巻)』(2000-)が予定されている。われわれとしては今後も、彼女の意欲的かつ挑戦的な研究に大きな関心を寄せていきたい。

 

2.最近の経済学方法論の動向

 本書が出版されたのは1991年であるが、収められた参考文献一覧表(1989年まで)から本訳書の成立(1994年)までには、すでに5年の年月が経過している。その間に出版された経済学方法論の文献は、膨大な数にのぼる。研究道具としての価値を高めるため、本訳書は、論文を除いた1989年以降の文献を末尾に付した。以下、経済学方法論の新たな動向について、簡単な概説を与えておきたい。

 従来型の経済学方法論、すなわち経済理論の評価および経済学研究の探求方法についての研究は、現在、その最盛期を迎えているように思われる。大きな流れでは、Blaugの『経済学方法論』(1980b)と、Caldwellの『実証主義を超えて』(1982)の二つの研究が成功してから、Hausmanの『経済学の科学性』(1991)が現れ、また1993年にはBlaug(1980b)の第二版が出版された。その他、同様の研究として、最近、Blaug(1990), de Marchi and Blaug(1991), de Marchi and Gilbert(1989), Hands(1992), Hausman(1992), Mayer(1993), Rosenberg(1992) が現れた。多くの論者は、Blaugの反証主義を論理的に不可能でかつ時代遅れのものとみなしたが、Blaugが第二版(1993)の序文に示した反撃は、ある程度の説得力をもつと同時に、他の論者たちの欠点を突いている。Blaugによれば、実際の経済学者の営みが反証主義的でないという理由でもって、反証主義を放棄してはならない。というのも、反証主義を放棄するならば、経済学を評価するすぐれた尺度を失うからである。Caldwellの「方法論的多元主義」や、「哲学者は経済学の成功から何を学ぶべきか」というHausmanの問題関心は、理論の評価に対して現状擁護的な傾向をもつ点で、批判されねばならない、とBlaugは反論する。こうしたBlaugの反批判の是非をめぐって、反証主義は依然として大きな論争の種になっている。

 しかし一方で、Blaugは、McCloskeyの批判を真剣に受け止めている。McCloskeyは、理論評価をめぐる以上のような論争状況そのものを、「モダニズム」の弊害として批判する。すなわち、理論の評価をあらかじめ明示的に規定しようとする方法論的態度は、時代遅れの科学哲学に服従しているにすぎないというのである。McCloskeyの主張は、オークショットやハイエクが近代合理主義を批判する文脈とも照応する。すなわち、近代合理主義は理論的な知識のみを有用な知識とみなし、明示化されない暗黙的な実践知がもつ有効な働きを軽視したという批判である。こうした政治思想の問題状況を考慮するなら、われわれは、方法を明示化するという方法論研究が果たして知識の成長や排除にとって最善の策であるかについて、疑う余地をもってかからねばならないだろう。McCloskey(1985b,1990,1994)の関心は、経済学者の言説が依拠している弁論術にあり、これに関連する研究としては、Lavoie(1990), Mäki(1990), Samuels(1990)がある。

 また、最近になって、これまでの経済学方法論の文献を集成した二冊の選集が出版された。Hausman(1984b)の編集した選集『経済学の哲学』増補第二版(1994)、およびCaldwellの選集(1993)である。これら二冊は重要な方法論文献を重複しないように選択しており、これに、同様の選集であるHahn and Hollis(1979), Caldwell(1984a), Marr and Raj(1983)を加えれば、重要な方法論文献がほとんど集成されたことになる[1]。しかしこれらの文献の中で、いわゆる方法論研究と呼ばれるものは約半分であり、残りは個別の経済哲学に関わる研究である。以下に、過去5年間に出版されたその他の文献を、いくつかの項目に分けて整理してみよう。(1)合理性:Hargreaves-Heap(1989).(2)計量経済学およびモデル構築の方法:Boland(1989), Hendry(1993), Little(1993), McClennen(1990), Morgan(1990).(3)均衡理論の方法;Mirowski(1988,1989), Weintraub(1991).(4)経済学の領域設定:Swedberg(1990). (5)カール・ポパー論:Newton-Smith(1992), 長尾/河上(1994),(6)オーストリア学派の方法論:Caldwell and Boehm(1993), Cubbedu(1993), Gasparski(1992), 橋本(1994).(7)制度学派の方法:Mki Gustafsson and Knudsen(1993).(8)経済哲学:Clark(1992), Loasby(1989), 浦上/郡嶌(1991).こうした個別研究は、方法論というよりはむしろ、経済学に関する広義の哲学、すなわち経済哲学として括ることが望ましいように思われる。以下、最近の個別研究の動向を踏まえて、経済哲学の目指すべき方向について考察してみたい。

 

3.新たな提案:「方法」からの脱出

 私の考えでは、経済学方法論を変革しなければならない理由は三つある。第一に、これまで方法論研究が重要であったのは、資本主義と社会主義の体制選択問題を合理的・理性的に解決するという時代の要請に答えるためであった(橋本 1994)。すなわち、従来の方法論研究は、科学の領域および基準を確定することで、思想闘争を理性的に解決しようとしたものであった。しかし現在では思想対立は緩んでおり、これまでのような方法論は重要な課題を失う。第二に、方法論が理論的知識の成長に寄与するための条件は、それぞれの理論パラダイムに固有の方法論が設置されて、「理論と方法論を結合したパラダイム」同士が競争するような場合と考えられる。しかし現在では、理論パラダイムと方法論パラダイムは乖離している。すなわち、一つの理論を擁護するさまざまな方法論があって、方法論の成功は必ずしも理論の成功を保証せず、また逆も成り立たないといった状況が生じている。第三に、方法論の整備によって経済学をより科学的なものに高めようとする動きは、減退しつつある。パラダイムの「科学化」は知識成長に結びつかず、むしろ知識の管理体制を強化することにさえなっている。以上のような理由から、経済学方法論は従来とは異なった方向へと変革されていかねばならないだろう。ではその方向とはどのようなものか。

 進むべき一つの方向は、「メソッドからマナーへ」というスローガンによって表すことができる。これまでわれわれは、優れた理論を評価して劣った理論を破棄するような基準を、メソッド(方法)に求めてきた。それは例えば、実証主義や理解といった真偽基準となるメソッドである。しかし、理論を取捨選択する基準は、現在のように複雑化した科学研究の状況においては、真偽基準だけでなく、信憑性、有望性、審美性など、さまざまな基準の複合によって満たされなければならない。これらの基準は、広い意味でのマナー(作法)と呼ぶことができる。マナーは、明示的に定式化されない場合も多いだろう。それは科学者共同体の中で育まれる伝統・慣習であり、例えば、どのように問題を立てるか・どのように批判するか・どのように叙述するかといった、ルールに関する作法をも含んでいる。われわれは、科学的メソッドの研究ではなく、学問のマナー(作法)の研究をすることによって、知識の成長をいっそう豊かなものにしうるだろう。

 もう一つの方向は、規範的な経済哲学の復興である。経済学の基礎概念について原理的な考察することは、実証研究や歴史研究を方向づけるもの以外は不毛であるとみなされてきた。しかし経済哲学は、経済政策の規範的な問題に対して答えうるような方向に再生すべきであろう。実証研究が示す効率性の基準によってのみ経済政策を導くことは、危険である。経済哲学は規範的な問題に答えるような、モラル・サイエンスとしての原理論を構築しなければならない。

 以上、私は経済学方法論についての二つの変革方向を提案した。一つは「学問の作法」であり、もう一つは「規範的な経済哲学」である。(このような試みとして、拙著『自由の論法』を参看されたい。)

 

1989年以降に出版された経済学方法論関係の文献

Backhouse, R. ed. (1994),“New Perspectives on Economic Methodology", London: Routledge.

Balzer, W. and Hamminga, B.eds.(1989),“Philosophy of Economics", Dordrecht: Kluwer-Nijhoff.

Blaug, Mark(1990), “Economic Theories, True or False ?", Aldershot: Edward Elgar.

Blaug, Mark(1993), “The Methodology of Economics: Or How Economists Explain 2nd.edition", Cambridge: Cambridge Univ. Press.

Boland, Lawrence A.(1989),“The Methodology of Economic Model Building: Methodology after Samuelson", London: Routledge.

Caldwell, B. J. ed.(1993),“The Philosophy and Methodology of Economics 3vols.",  Aldershot: Edward Elgar.

Caldwell, B.J. and Boehm, Stephan, ed.(1993),“Austrian Economics: Tensions and Directions", Boston: Kluwer.

Clark. C.M.A.(1992),“Economic Theory and Natural Philosophy: The Search for Natural Laws of the Economy", Aldershot: Edward Elgar.

Cubeddu, Raimondo(1993),“The Philosophy of the Austrian School", London: Routledge.

de Marchi, N.ed.(1992),“Post-Popperian Methodology of Economics: Recovering Practice", Boston: Kluwer.

de Marchi, N. and Blaug, M.eds.(1991),“Appraising Modern Economics: Studies in the Methodology of Scientific Research Programmes", Aldershot: Edward Elgar.

de Marchi, N. and Gilbert, C. eds.(1989),“History and Methodology of Econometrics", Oxford: Clarendon Press.

Gasparski, W.W. and Mlicki, M. K. eds.(1992),“Praxiologies and the Philosophy of Economics", U.S.A.: Transaction.

Hands, W.D.“Testing, Rationality and Progress", Lahham: Roman & Littlefield.

Hargreaves-Heap, Shaun,(1989),“Rationality in Economics", Oxford: Basil Blackwell.

Hausman, Daniel(1991),“The Inexact and Separate Science of Economics", Cambridge: Cambridge Univ. Press.

Hausman, Daniel(1992),“Essays on Philosophy and Economic Methodology", Cambridge: Cambridge Univ. Press.

Hausman, Daniel, ed.(1994),“The Philosophy of Economics: An Anthology 2nd.edition", Cambridge Univ. Press.

Hendry David F.(1993),“Econometrics Alchemy or Science ?: Essays in Econometric Methodology", Oxford: Blackwell.

Lavoie, Don, ed.(1990),“Economics and Hermeneutics", Cambridge, London: Routledge.

Little, D. ed.(1993),“On the Reliability of Economic Models: Essays in the Philosophy of Economics", Boston: Kluwer.

Loasby, B.(1989),“The Mind and Method of the Economist: A Critical Appraisal of Major Economists in the Twentieth Century", Cheltenham: Edward Elgar.

McClennen, E.(1990),“Rationality and Dynamic Choice: Foundational Explanations", Cambridge: Cambridge Univ. Press.

McCloskey, D.(1990),“If You're So Smart: The Narrative of Economic Expertise", Chicago: Univ. of Chicago Press.

McCloskey, D.(1994),“Knowledge and Persuasion in Economics", Cambridge: Cambridge Univ. Press.

Mäki, Uskali(1990),“Studies in Realism and Explanation in Economics", Helsinki: Suomalainen Tiedeakatemia.

Mäki, Uskali, Bo Gustafsson and Christian Knudsen,(1993),“Rationality, Institutions and Economic Methodology", London: Routledge.

Mayer,T.(1993),“Truth Versus Precision in Economics", Cheltenham: Edward Elgar.

Mirowski, Philip(1989),“More Heat than Light: Economics as Physics, Physics as Nature's Economics", Cambridge: Cambridge Univ. Press.

Mirowski, Philip(1988)†,“Against Mechanism: Protecting Economics from Science", U.S.A.:Rowman & Littefield.

Morgan,M.(1990),“History of Econometric Ideas", Cambridge: Cambridge Univ.Press.

Newton-Smith, ed.(1992),“Popper in China", London: Routledge.

Redman,Deborah(forthcoming),“The Rise of Political Economy as a Science: Methodology and the Classical Economists".

Redman, Deborah(2000-),“The History of Women and Economics 3vols.".

Rosenberg, A.(1992),“Economics−Mathematical Politics or Science of Diminishing Returns", Chicago: Univ. of Chicago Press.

Roy, S.(1991),“Philosophy of Economics: On the Scope of Reason in Economic Inquiry", London: Routledge.

Samuels, Warren, ed.(1990),“Economics as Discourse: An Analysis of the Language of Economists", Boston: Kluwer.

Samuels, Warren, ed.(1993),“The Chicago School of Political Economy", New Brunswick: Transaction.(Originally Published in 1976.)

Shackle, G.L.S.(1994),“Business, Time and Thought",

Solo, R.A.(1991),“The Philosophy of Science and Economics", London: Macmillan.

Swedberg, R.(1990),“Economics and Sociology−Redefining Their Boundaries: Conversations with Economists and Sociologists", Princeton: Princeton Univ. Press.

Weintraub, E.(1991),“Stabilizing Dynamics: Constructing Economic Knowledge", Cambridge: Cambridge Univ. Press.小島照男訳『経済動学の系譜』文化書房博文社,1993.

・浦上博逵/郡嶌孝 編(1991)『経済学:危機から明日へ』現代のエスプリ288号、至文堂

・長尾龍一/河上倫逸 編(1994)『開かれた社会の哲学:カール・ポパーと現代』未来社.

・橋本努(1994)『自由の論法』創文社(近刊)

 

 

† これは1988年に出版されたが、Redmanの文献一覧表には記載されていない。

 

 



[1] Hahn and Hollis(1979), Caldwell(1984a)は巻末の文献一覧表を参照。 Marr and Raj(1983)は、“How Economists Explain: A Reader in Methodology", Lanham, MD: University Press of America.